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戦争と環境破壊〜第一次世界大戦から100年目に思う〜

最大の激戦地、ベルギー・イーペルを訪問

 サラエボ事件(1914年6月28日)がきっかけで始まった第一次世界大戦から100年目を迎えた今夏、欧州では、ベルギー、オランダ、イギリス、フランスなどの各地で開戦100年記念の式典が盛大に開催されました。最大の激戦地のひとつだったベルギー南西部の都市イーペルでは、6月26日、EU(欧州連合)加盟28カ国の首脳らが集まり、大戦の犠牲者の追悼式に参加しました。式典は大戦で戦死した兵士らを追悼する記念碑「メニン門」で開かれ、首脳らはEUの公用語である24言語で「平和」の言葉を刻んだ「ベンチ」を寄贈しました。キャメロン英首相やメルケル独首相が参加した映像が日本のテレビでも放映されたのでご覧になった方もおられたのではないでしょうか。たまたま、先週、イーペルを旅行する機会がありました。

3ヶ月の激戦で両軍合わせ、50万人を超える犠牲者が発生

 メニン門近くにある戦争博物館で、第一次世界大戦で使われた戦車,銃器などの兵器、軍服、戦死者の顔写真、さらに動画による戦闘風景などを見ることができました。イーペル会戦ではイギリス、カナダなどの連合国軍とドイツ軍の3ヶ月に及ぶ激戦で、両軍合わせて50万人を超える犠牲者が出たそうです。戦争によって徹底的に破壊されたイーペル市は、長年かけて昔の街並の復元に取り組みました。現在同じ戦争の被害(原爆)都市である広島市と緊密な友好関係を結んでいます。

毒ガスが史上初めて使われた

 イーペルが第一次世界大戦の最大の激戦地だったということに加えて、もう一つ重要なことが分かりました。この戦いで、化学兵器が史上初めて使用されたことです。連合軍との戦いで劣勢に追い込まれたドイツ軍は、人類史上最初の大規模毒ガス(塩素ガス)を使用しました。甚大な被害を受けた連合軍は撤退、勢いに乗ったドイツ軍は、その後さらに毒性の強いマスタードガスも使用しました。化学兵器の使用は、人体に深刻な影響をもたらすだけではなく、周辺の土壌、河川汚染を引き起こし生物多様性の破壊など環境悪化の大きな要因になります。イーペル市の郊外には、「毒ガスが初めて使われた場所」という表示のある場所も訪ねました。

戦争による環境破壊は2種類ある

 戦争による環境破壊は大きく二つに分類できます。一つは戦争行為そのものによる農地や宅地、自然環境の破壊です。日本でも戦国時代にはしばしば戦争の舞台になった農地が破壊されコメなどの収穫に大きな影響を与えました。

急速に進んだ兵器の技術進歩

 第二は戦争行為に付随する兵器の技術革新です。毒ガスなどの化学兵器、生物兵器、原爆などに代表される新型兵器の登場によって環境破壊は広範囲にわたり、深刻化しました。

ベトナム戦争ではダイオキシンを含む枯葉剤が大量に散布された

 60年代初めから70年代前半まで続いたベトナム戦争では、米軍が上空から高濃度のダイオキシンを含んだ大量の枯葉剤を散布したため、ベトナムの森林、農村、田畑は広範囲にわたって汚染されました。さらに戦後、多くの先天性障害を持った子供が多数生まれるなど多くの健康被害を招きました。

人間の持つ忌まわしい業に思いを馳せる

 また1990年8月のイラクによるクウェート侵攻で始まった湾岸戦争では、米軍が劣化ウランを含んだ砲弾を使用しました。劣化ウラン弾は原子力発電所などから出る低レベル放射性廃棄物を使った兵器で、人の体内に入りガンや白内障の原因になります。さらに飛散した放射性物質は土壌や河川、地下水などを汚染し続けます。  第一次世界大戦開始から100年、この間、大きな殺傷能力を持ち、激しい環境破壊を伴う近代兵器が続々と開発されてきました。人間の持つ忌まわしい業を感ぜずにはいられませんでした。

(2014年9月1日記)

 
 
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