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「原発ゼロでも日本は発展できる」−小泉発言を検証する

3.11から3年目の今、日本は新たな選択に踏み切る時だ

 東京都知事選に元首相の細川護熙氏が立候補を表明した際、同じ元首相の小泉純一郎氏が支援に回り、「原発ゼロでも日本は発展できる」と述べ、今度の都知事選は「原発なくして発展できない」というグループとの争いだ、と啖呵を切りました。一方安倍晋三首相は「原発ゼロは無責任」との立場で、トルコを含む中東諸国などと原子力協定を結び、原発輸出のトップセールスに精力的に取り組んでいます。福島原発事故から早くも3年目。丸3年が過ぎようとしているにもかかわらず、汚染地域の除染作業は大幅に遅れ、事故現場の汚染水対策や廃炉作業も遅々として進んでいません。溜まる一方の高濃度の放射性物質、「核のごみ」も今の科学的知見では適正な処理方法が見いだせない状態です。3.11・3年目を直前にした今、あらためて「原発ゼロでも日本は発展できる」のか、「原発なくして、日本は発展できない」のかを検証し、いずれが日本の将来にとって望ましいかを選択し、日本の針路を明確に打ち出す時期が来ています。

「原発なくして、発展できない」は、将来世代に負荷を先送りする無責任発想だ

 「原発なくして、日本は発展できない」のグループも決して内実は一枚岩ではありません。積極的推進派は、日本の将来のエネルギー戦略として、原発事故以前の原発依存路線への復帰を目指しています。事故の反省をしっかりし、世界一安全な原発をつくり、安全管理を徹底させれば問題はないとするかつてきた道と同じ考え方です。多少のリスクは残るが、深刻な事故はゼロに近い状態まで抑え込むことができる。エネルギー資源の乏しい日本が発展するためにはこの道しかない。自然エネルギーの普及には限界がある。「人のうわさも75日」というが、日が経てば、原発の負の部分が忘れ去られ、電気のありがたさが再認識され、原発アレルギーも減少してくるだろう。「原発安全神話の復活」は、日本の将来のために必要だという立場です。だが、この立場は、現代世代の利益のために、将来世代に過大な放射能禍の不安を先送りする無責任な考え方と言えるでしょう。

原発推進派は、事故前への復帰が目標、電事連、原発の新増設を自民議員に訴える

 事故前、日本の発電電力量に占める原発の割合は約26%。さすがにこの水準まではムリだとしても、15%程度を原発に依存しないと、石油や天然ガスなどの輸入価格上昇→発電コストの上昇→電力料金の引き上げの悪循環に陥り、日本産業の国際競争力は大幅に低下し、国民生活も電力料金の引き上げで家計が圧迫されてしまう、と推進派は考えます。原発事故が起こる前の歴代政府は、日本のエネルギー政策を支える重要な柱として原発を位置付けてきました。事故直前に作成された政府のエネルギー基本計画(10年6月作成)では、30年までに14基以上の原発を新増設し、発電電力量の約半分を原発で賄う計画でした。事故後、この計画は白紙に戻ったものの積極的推進派は密かに計画の復活を目指しています。電力会社などでつくる電気事業連合会(電事連)が自民党議員に原発の必要性や新増設を訴える文書を配っていたことが最近明らかになったこともその一端です。

原発再稼働では、新しい産業が育たず、経済は低迷する

 一方、原発縮小が望ましいとしても、直ちに原発ゼロを実施すれば、産業や国民生活に与える影響が大き過ぎる、という立場が推進穏健派です。穏健派は、積極的推進派ほどではないが、「最低限度の原発は今の日本には必要だ」との認識です。積極的推進派にせよ、穏健派にせよ、「原発なくして、日本の発展はない」という立場は同じです。原発依存を前提とした日本のエネルギー戦略を推進するためには、事故前のエネルギー基本計画へ戻ればよいわけで、産業構造や消費者行動、政治や社会の仕組みも大きく変える必要はないという結論になります。この路線では、「失われた20年」に逆戻りするだけで、日本経済の活性化はむずかしいでしょう。

原発ゼロ革命は、日本経済を活性化させる

 他方、原発ゼロでも、日本は発展できる、という立場から、将来のエネルギー戦略を考える場合は、これまでのエネルギー構成や産業構造、消費者行動、政治や社会システムなどを大胆に転換させていかなくてはなりません。この転換、別の言葉でいえば、原発ゼロ革命を成功させるためには、原発依存型の過去の日本と決別して、持続可能なエネルギーに支えられた新しい日本をゼロから構築する覚悟が必要であり、日本人の本気度が問われるわけですが、小泉元首相は、「総理が決断すればできる」と指摘している。この路線に転換することで、日本は新たな成長路線を歩むことが可能です。

原発稼働ゼロで3年間、問題はなかった

 3.11から丸3年。原発ゼロ革命の条件は、今の日本にどれだけ整っているのでしょうか。事故前と事故後で比較すると原発ゼロ革命を可能にさせる条件がわずか3年の間に急速に整備されてきていることが分かります。この現実を直視しなければなりません。第一に指摘できることはこの3年間、日本の原発稼働率はゼロ状態を続けていることです。事故後の12年7月に大飯原発3,4号基(福井県)が一時的に再稼働したが、13年9月に定期検査に入り、両基とも稼働を停止しました。現在、稼働可能な原発50基すべてが運転を停止しています。3年間、原発ゼロでも、経済活動や国民生活にそれほど大きな支障が出ていません。3年間原発ゼロでやってこられたということは、今後5年先、10年先、さらにその先も原発ゼロでやっていけることを示しています。

太陽光発電だけでも、原発20基分を代替できる

 第二に太陽光や風力を活用した再生可能エネルギーの利活用が急速に普及してきたことです。再生可能エネルギーを生産者に有利な価格で買い取る固定価格買取制度が12年7月からスタートしました。この結果、現在までに経産省が買い取りを認定した太陽光発電所の出力は、合計すると2000万kwを超えています。原発1基の出力を100万kwとすれば、原発20基分に相当します。もっとも、2000万kwのうち、実際に稼働したのは1割強と少ないなど問題はありますが、太陽光発電だけでも、20基分の原発を代替できる可能性が出てきたことは画期的なことと言えるでしょう。事故前は想像もできなかったことです。今後,大型の洋上風力発電などが加わってくれば、再生可能エネルギーだけでも、30~40基分の原発に置き換わることが可能です。

省エネ、節電でも20~30基分の原発代替が可能だ

 弟三は、事故後、製造過程の省エネ化、省エネ型のオフィスビル、エコハウス、一般家庭での節電が急速に進行しています。3.11事故が起こった年の夏場7,8月の2カ月間、東京電力管内の電力消費量は、企業、個人の節電努力によって、約1000万kw分も削減できました。原発10基分にあたります。この1,2年、新設のオフィスビルや工場での省エネ化が著しき進み、従来の建造物と比べ、消費電力量を半減、さらに半減以下まで減少させるケースが目立っています。節電効果によって原発20~30基分を代替させる可能性が高まっています。

退路を断つことで、イノベーション旋風が起こる

 事故後3年、再生可能エネルギーと大幅節電によって、日本は原発ゼロでも発展できる条件を急速に整えてきています。この動きをさらに加速させ、発展させていくためには、既存のエネルギー構成、産業構造、消費者行動、政治や社会システムなどを大胆に転換させていくためのイノベーションが求められます。時代を変えるイノベーション旋風を巻き起こすためには、脱原発を新たな国家目標として掲げ、原発への未練を断ち切ることが必要です。大きな国家目標が掲げられれば、その目標達成に向けて努力し、実現させる優れた能力を日本人は持っています。脱原発路線こそ、日本人を奮起させる原動力になります。

最後に、その一助として、すでに脱原発に向けて大きく舵を切ったドイツの経験から学ぶため、「ドイツ脱原発倫理委員会報告」(大月書店)の一読をお薦めします。

(2014年2月3日記)

 
 
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