第4回全国高校生環境スピーチコンテスト開催
先日、私の大学で全国高校生環境スピーチコンテストを開催しました。毎年、全国の高校生に呼びかけて実施しているもので、今年で4回目になります。「今私にできること」、「もったいない」、「地球温暖化対策」、「生物多様性を守る」など多様なテーマで、スピーチをしてもらいますが、高校生らしいフレッシュで率直な意見、提案、奇抜なアイデアなどが飛び出し、審査員の一人として、毎年楽しみにしています。今回は約70名の応募者があり、その中から書類選考で選ばれた13名の高校生が、本学図書館の国際会議場に集まり、7分程度のスピーチをしてもらいました。
優勝者は北海道の高三、自称「酪農家の娘」
優勝者は、北海道の高校3生生の自称「酪農家の娘」さん。北海道の道東地方を中心に、エゾシカが急増しており森林や農業被害が深刻化している現状をユーモアたっぷりに紹介しました。「奴らは電牧(電気柵で囲まれた牧場)の柵をあっさり飛び越え、新芽の一番美味しい草を、我が家のかわいいかわいい牛たちよりも先にムシャムシャ食べるのです。しかも大家族でです。そのせいで、エゾシカによる農業被害は50億円を突破しました」「冬には、食物に窮したエゾシカが、ハルニレやオヒョウなどの樹木の皮を食べたり、オスジカが角を枝や幹にこすりつけたりします。樹皮が傷つけられた木は、ついに枯れてしまうのです」と述べ、「酪農家の娘としてこれは許すまじな問題です」と語りかけました。
ヒトの身勝手でエゾシカを害獣にしてしまった
エゾシカは明治維新後、毛皮と角が目的で乱獲が起こりました。1879年には記録的な大雪の影響で絶滅寸前まで追い詰められてしまったそうです。その後、保護政策や生育環境の変化などによって少しずつ生息数が増え、最近では害獣と呼ばれるほどに増えてしまいました。「なんと、ヒトの身勝手で数を減らしてしまったエゾシカを助けたら、今度は急激にエゾシカが増えて、害をおよぼすようになった」と指摘し、さらに「エゾシカを害獣にしてしまったのは、私たち人間です。エゾオオカミという天敵まで絶滅させてしまったのです。人間が干渉しなければ、シカの数は一定に保たれていたはずです」と増え続けるシカの原因が人間による生態系の破壊にあると糾弾します。
北海道の先住民アイヌの知恵から学ぶ
それでは、どうする?
彼女は続けます。「エゾオオカミがいない今、昔のような生態系はできません。しかし、シカの被害が大きいからといってシカを撃ち、ただ数を減らせばいいという問題でもないはずです」と問い直し、北海道の先住民アイヌの人たちの知恵から学ぼうと話を展開します。「アイヌの人たちはシカのことを「獲物」という意味の“ユク”と呼びます。自然とともに生きてきた先人は、余すことなくシカを利用していたのです。私たちもエゾシカをユクとみて、頭数の保護管理を行うとともに、彼らの肉、毛皮すべてを利用すべきだと考えます」と意表をつく思い切った提案を打ち出しました。
野生動物を食べることに抵抗がありますか
ここで、重要なのは、「野生動物を食べる」という新しい価値観を日本人が受け入れることができるかどうかです。野生動物を食べることについては、動物愛護運動などのグループから「とんでもない」といった批判が起こるかもしれません。しかしよく考えてみれば、「野生動物を食べるのはけしからん」と一蹴してしまうことにも問題があるように思われます。私は、かつて新聞社の特派員としてベルギーのブリュッセルに駐在したことがありますが、当地のご馳走の一つに散弾入りの雉(キジ)料理がありました。付近の森から「今朝早く、獲ってきたので新鮮で美味いよ」とコック長が自慢気な顔で話している姿を今も思い出すことがあります。雉肉の中に小さな散弾が入っており、それを口から出しながら「新鮮だね」言いながら食べるのが売り物でした。
エゾシカを“友獣“と呼べる新しい価値観を提案
エゾシカの肉を先住民が天からの贈り物として好んで食していたことからも、明らかなように、価値観の転換さえできれば、上等な食肉なのでしょう。「もし野生動物を食べるという価値観が広がれば、人も自然の営みの一部に少し戻れるような気がします」と彼女は語り、「エゾシカが後世に語り継がれるときには、“害獣“ではなく、ヒトに近しい存在、友という意味の”友獣”と呼ばれることを願います」と締めくくりました。
皆さんは、彼女の提案をどう受け止めますか。
2010年8月13日記