目くらましの15%削減
麻生太郎首相は、先日、地球温暖化防止のため、2020年時点の温室効果ガスの排出量を05年比で15%削減すると発表しました。05年を基準にすると、20年のアメリカの目標は14%減、EU同13%減となり、日本が最も野心的な目標を掲げているように見えます。しかしこの15%削減はめくらましの数字というほかありません。
90年比ではわずか8%削減に過ぎない
世界の常識になっている90年基準で比較すると、日本は8%減で、EUの20%減と比べ大きく見劣りします。基準年の違いによって、なぜこのような違いがでてくるのでしょうか。日本の場合、05年の排出量は90年比で7%以上増えています。その増えたところから15%を削減するわけですから、90年比では8%減にとどまるわけです。逆にEUの場合は、05年の排出量が90基準で、7%程度減少しているため、低くなった水準から13%削減すれば、90年比で20%の削減が可能になるわけです。
途上国や環境NGOは大幅削減を要求
このような数字のマジックで、国民に対し「日本は野心的な削減目標を掲げている」と得意げに語りかけるのは、国民を愚弄する以外のなにものでもありません。案の定、日本政府の発表に対しては、発展途上国や世界の環境NGOから「もっと大幅な削減目標を掲げるべきだ」との批判の声が上がっています。
科学者の知見が尊重されなければならない
地球温暖化が気候変動に与える影響は複雑であり、高度な専門知識が必要なため、政策決定に当たってはなによりも科学者の知見が最大限尊重されなければなりません。しかも、温暖化対策は地球規模で取り組まなくてはならない問題なので、国際間の協力も不可欠です。ところが、中期目標の決定に当たって、最も優先されなくてはならないこの二つのルールが政治決定の場では著しく軽視されています。
産業界の「大幅削減反対」キャンペーンが政府決定に影響
政府の決定に大きな影響を与えているのは、企業益を地球益よりも優先させようとする産業界の「大幅削減反対」のキャンペーンです。厳しい削減目標が導入されれば、企業のコスト負担がかさみ、国際競争力を損なうという理屈です。全国紙の一ページを借り切って数回にわたって展開された産業界の意見広告には、目を覆いたくなるような内容が満載されていました。たとえば、日本は世界トップレベルの低炭素国であるとして、DGP当たりのCO2排出量の国際比較を掲載しています。この比較だと、低炭素国として、上位にあるのは日本の他にEUやアメリカなど、CO2の大量排出国なので、違和感をお持ちの方も多かったのではないでしょうか。
国民一人当たりのCO2排出量比較で判断すべきだ
京都議定書の精神からいえば、低炭素社会の指標としては、国民一人当たりのCO2排出量で比較すべきです。そうすれば、日本,EU、アメリカなどの工業先進国は、高炭素国に列挙されます。厳しい削減目標が設定されると、経済成長率の減少、失業率増、可処分所得の減少など様々な悪影響が予想されると国民を萎縮させるような内容も意見広告には記載されていました。果たしてそうでしょうか。
産業界の試算には、イノベーション効果などが反映されていない
産業界の試算には、環境税などの導入によって、企業が誘発するイノベーション(技術革新)効果や排出量取引効果などのプラス面が反映されていません。米ハーバード大学のマイケル・ポーター教授は、「適正に設定された環境規制はイノベーションを誘発し、企業の国際競争力を強化させる」(ポーター仮説)と指摘し、その実例をいくつも挙げています。
厳しめの削減目標の方が、イノベーションを誘発させる
今日のような深刻な不況局面では、厳しめの削減目標を設定することで、新エネ、省エネなどのイノベーションを誘発できる産業を積極的に育成し、それによって雇用を拡大させ、経済成長率を高める政策の方が景気浮揚効果は大きいといえるでしょう。
政府の中期目標は、現状の産業構造やエネルギー構成の大胆な変更、環境税の導入などの強力な政策措置をとらないことが前提になっています。短期的には産業界から歓迎されるでしょうが、中長期的には、折角のイノベーションの機会を奪うことになります。
1割のコスト削減よりも5割削減の方がやりやすい、松下幸之助
経営の神様といわれたパナソニックの創始者、故松下幸之助は、コスト削減に当たっては「1割削減するよりも、5割削減する方がやりやすい」と言っています。
現状の延長線上で1割のコスト削減は乾いた手ぬぐいを絞るような努力が必要ですが、その割に効果はあがりません。だが、5割削減となれば、基本からの見直しが必要になり、そこからブレークスルー(現状打破)につながるイノベーションが生れます。政府の中期目標程度では、ブレークスルーを伴うようなイノベーションを誘発することはできません。
現状打破のイノベーションは、大不況期に生れる、シュンペーター
経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは、今度のような100年に一度あるかないかの大不況から、経済が立ち上がるためには、現状打破を目指す「企業家による創造破壊が必要だ」と指摘しています。創造的破壊とは、今日の成功を明日には否定するような企業家の旺盛なイノベーションのことです。
今回の中期目標は、産業界を衰退させる危険性が大きい
現状打破を恐れ、政治力で排ガス規制の実施時期を大幅に遅らせ、技術革新を怠ってきたアメリカの自動車大手、GMとクライスラーが米連邦破産法の適用に追い込まれた過ちを日本の産業は教訓にしなければなりません。教育ママ的な産業界にやさしい今回の中期目標の設定は、日本産業が持つイノベーション力を殺し、日本産業を衰退の道に追いやる危険性をはらんでいるといえるでしょう。
2009年6月19日記