2002年度寄付講座
環境と経済の新世紀

第19回: 「地雷汚染に苦しむ人々のために」(2002.10.30)

パネリスト:
飯田亮氏(セコム株式会社取締役最高顧問)
冨田洋氏(人道目的の地雷除去支援の会事務局長)
山田慎一氏(人道目的の地雷除去支援の会)
鳴海亜紀子氏(人道目的の地雷除去支援の会)

コーディネート:
三橋規宏氏(千葉商科大学政策情報学部教授/B-LIFE21事務局長)

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お金だけではなく、時間と汗を出さなければ本当の社会貢献とは言えない

 飯田 ベンチャー企業の父などと言われると、せいぜいお兄さんにしてくれという感じがありますが、いわゆるベンチャー企業の草分けのようなものですので、やむを得ないかなという感じも持っています。

 私が地雷除去の活動を、JAHDSを通してやろうと考えたかですが、もともと私が創業したセコムという会社は「安全、安心」ということが中心になって仕事を展開してきた企業です。ですから、常々「安全、安心」ということに関しては関心が深いどころではなく、私の頭の先から足の先まで「安全、安心」が染み付いているのです。 ある日、冨田君から手紙がきました。そこには地雷除去をしなければいけないというようなことが書いてあり、おもしろい男だと思い一度会おうということで会って、実情を聞くと悲惨なもので、先ほど冨田君が説明しましたが、バタフライ地雷は子供が拾い上げるようにできているのです。子供が手に取って、それで遊ぼうとしたら爆発する。これは許せない。何とかして地雷除去をやっていかなければいけない。ところが、いろいろな社会的貢献ということで考えた場合に、今まで企業がやってきた社会貢献というのは、ただお金を出すということで、これで社会貢献だというようなものが多かったような気がします。本当の社会貢献というのは、お金もさることながら時間と汗を出さなければいけない。時間と汗と一緒になって初めて尊敬される社会貢献、有効な社会貢献ということになるのだと思います。

 私は企業人ですので、いろいろな会社に声をかけました。ほとんど二つ返事で「いいですよ、やりましょう」とおっしゃいました。ですから、その会社の方たちもやはり社会貢献をしたい。企業も一市民であるということで貢献をしようとさまざまな貢献をしていただきました。それらの会社は、この一覧に出ているような日本でも有数の会社です。これ以外に数社まだありますが、例えば、トヨタからは現地で使う車両を何台か提供していただいています。ホンダからは現地で対応するバイク、発電機等々、総額で1億円を軽く越えます。オムロンは先ほど説明がありました「マインアイ」、IBMはコンピュ−タの部分、ソフトウェアの部分等々、シャープは炎天下でも見える液晶の提供をしていただいています。

 その他さまざまありますが、企業がこういった貢献をしている、地雷除去に企業がこれだけ関わっているということを、今初めてみなさん知ったと思います。これらの企業はみなさんに「われわれは地雷除去のためにこれだけのことをやっていますよ」という宣伝をしません。ですから、みなさんは知らないということなのです。企業というものが、利益のためにやっているのではない、何らかのメリットがあるからやっているのではない、いわゆる無償の支援をしているということをまずご理解いただきたいと思います。

 私がなぜ企業に声をかけたかということですが、先ほど申し上げたように、私は企業人ですので企業以外に声をかけようがありません。ところが、日本は好むと好まざるとによらず企業社会です。アメリカもヨーロッパもそうです。今は中国もそうです。そして、企業が一市民としてこうした社会貢献活動に参加するということが、単なる市民運動だけではなく企業も一市民としてこういった貢献をしていくということが、どうしても必要なのです。フタを開けてみるとみなさん貢献をしていただいて、世界でも数少ない「企業が参加をしているNPO、NGO」であるということで、国連もビックリしました。将来のNPO、NGOというものは、企業社会の中にあってはこのJAHDSのようなかたちになっていくのだろうということで、国連は盛んにこの方式を検討しています。ですから、企業とNPO、地雷、そういったものの関わり合いは、新しい時を迎えてきたという感じが私はしています。

各企業が最も得意とする技術を提供する「飯田方式」の導入

三橋 ありがとうございます。今の説明でもおわかりいただいたと思いますが、企業がNPO、NGOを支援する場合には、今までほとんどがお金を出して、あとはそれを勝手に使って下さいという支援の仕方がほとんどでした。JAHDSに対する支援の方式は飯田方式ということで、その企業が最も得意とする技術を提供するというやり方を取りました。したがって、セコムの場合には地雷と全く関係ないということで、何をしたかというと、人材提供ということで今説明していただいた山田慎一さんを出向させています。企業が実際にNGO、NPOに対する協力の仕方について一つの新しい方式を編み出したという点で、私は興味深く、また高く評価しています。

 もう一つ強調しておきたいことは、もともと冨田さんと飯田さんは顔見知りではなかったのです。冨田さんは、全く知らない飯田さんに熱い思いを書いた手紙を送りました。それを飯田さんが読んで、これはやはり自分としてできるだけの協力をしなければいけないという思いに駆られ、飯田さんのお知り合いのさまざまな企業の経営者に直接電話をして、「こういうことをやろうと思っているのだけれども、ご協力いただけないか」ということで賛同を得て、この飯田方式を作ったのです。

 そこで、私は学生諸君に言いたいのですが、1人の学生ができることはたかが知れていると思うのではなく、本当に情熱をかけて熱い思いで何かをしたいということがあれば、無駄だと思わずに積極的にさまざまな挑戦をしてみるということが大切なのです。文句ばかり言っているのではなく、実際に体を動かし、汗を流して自分がやりたい、やらなければいけないということに取り組むということが、非常に必要だと思います。そのような点で言えば、冨田さんの行動が非常に参考になるのではないかと思います。世の中、お金だけで動いているのではない。しかしながら一般的には、企業人はお金儲けのことだけしか考えてないのではないかと、考えられがちです。しかし、経営者も心を持っていて、お金儲けの他にやるべきことがあれば、体を張って応援していくという時代に今なりつつあるのです。そのようなことを、是非みなさんに理解していただきたいと思います。

 次に伺いたいのですが、セコムから出向している山田さん、出向してよかったと思いますか。あるいは飯田さんからJAHDSに出向しろと言われて出向して、出向したときの気持ち、そして実際に地雷除去活動運動に携わりながら何を感じたのか。早くセコムに帰りたいのか、帰りたくないのかという気持ちも含めて、率直な印象を話していただければと思います。

自分がアクションを起こさなければ現地では何も起こらない

山田 私はJAHDSに来て2年半になります。2000年6月に、急にセコムの人事部から「JAHDSという団体があるのだけれども知っているか」と聞かれ、「知りません」と答えました。当時は私もセコム、飯田がJAHDSを支援しているということを全く知らなかったのです。ただ、話を聞いてみると、「タイ、カンボジアで活動をしていて、地雷除去に対する支援ということで非常にやりがいがある。やってみるか」ということを言われ、私もけっこう机に座ってやっているような仕事があまり好きではなく、とにかく外へ飛び出したい質でしたので、とにかく「やらせてくれ。やりたい」とうことで、JAHDSへ飛び込んできました。

 来てみてびっくりしたことは、当時は蒲田に事務所があり、配属されたその日に冨田さんから「二日後にカンボジアに行ってくれないか」といきなり言われて、すぐに現場に入りました。「なぜか」ということも聞けぬまま現場に、カンボジアとタイを見に行ったのです。それは、まずは現場に行かなければわからないことがたくさんあるからでした。もちろんカンボジアというのは非常に発展途上の貧しい国で、地雷の被害も激しいのですが、なぜカンボジアがそのような状況になっているのかというのは、現場に行かなければわからないことだったのです。

 そのような中で、まず「JAHDSとして何ができるかを見てこい」ということで、私は1人で1年かけて東京とタイ、カンボジアを行ったり来たりしながら、非常にうれしい言い方をすれば「時間をいただいた」わけです。JAHDSから「何をやれ」ということは言われていなかったのです。「現地で何ができるかを見つけて来い」ということでした。ただしJAHDSとしては一つのポリシーがあります。それは先ほどのマインアイなり、技術を以って地雷除去の加速化、そして復興の加速化に貢献するというものです。そのポリシーの下で自分が何ができるかを見つけてこいということで、行ったり来たりしながらやってきました。

 現地へ行ってわかったことは、みなさんも会社に入られて社会人になられると、始業時間や就業時間があると思います。9時始まりで5時、6時に終わる。現地で1人でいると、時間という感覚が全くない。全ては自分自身に任される。つまり、遊びほうけていても時間は過ぎます。ただ、自分で何かアクションを起こさなければ、現地では何も起こらない。確かにカンボジアは貧しくて地雷除去をしてほしいという要請はあるけれども、どうしてほしいというアクションは起こってこない。全て「自分が何をしてあげるのがベストなのか」を考えて、それを実行していかなければいけないという意味で、非常にきつかったのですが、勉強になったということを感じました。 そうやりながらも最終的にカンボジア、タイ、もしくは東南アジアを支援するためには、タイがhubとして安定したところで中心的な場所を持たなければいけないということで、昨年タイに事務所を自ら開いて、現在半年以上経ちましたが、タイで現地法人として、先ほどの蒲田のJAHDS、東京のJAHDSとは別にJAHDS Thailandという現地法人を立ち上げ、スタッフも10名雇っている状況です。タイを中心としてカンボジア、将来的にはミャンマー、アフガンのほうにも目を向けていこうということで、タイ(アジア)をベースとしてこれからやっていくための礎を築く機会を与えていただいたと、JAHDSに対しては非常に感謝しています。

三橋 それでは続いて鳴海さん。いくつかの職業を経て、今JAHDSにおられるのですが、早稲田大学出身ということでみなさんの先輩でもありますし、このJAHDSの仕事に携わってどのような印象、考え方を持つに至ったかについて報告して下さい。

鳴海 こんにちは。鳴海亜紀子と申します。今ご紹介いただいたように、私は早稲田大学の商学部を卒業していて、みなさんの先輩にあたります。簡単に私の略歴をご説明しますと、早稲田大学の商学部を出た後、新卒で就職したのがシステムエンジニアという職業でした。そこで2年半ウェブサイトの運用の仕事をしていて、そのあと縁あってJAHDSに入ることになりました。JAHDSの仕事も2年経つのですが、今は東京で働いていますが、昨年は半年間、カンボジアのバッタンバン県というところで行われている地雷除去活動を、どんなふうに地雷除去が行われているのか、そこの村に住んでいる人たちがどんな生活をしているのか、などを調査する仕事を半年間担当させていただく機会がありました。その半年間で感じたことがいくつかあるのですが、早稲田大学の先輩として是非みなさんに伝えておきたいことがありますので、今日はそれを報告させていただきます。






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