2002年度寄付講座
早稲田大学オープン教育センター

第10回: 馬塚丈司氏(2002.6.26)
(サンクチュアリジャパン 代表)

「自然保護運動の大切さ」

4page


40数年ぶりに「海岸環境の保全」が盛り込まれた海岸法

 海岸の利用方法としては、サーファー、釣り人、そして海岸にただ車で走り回りたい人、ゴルフの練習をやる人、プロペラを付けて空を飛び回る人もいます。まだあります。砂遊びをする人、砂浜に穴を掘って砂浴する人、甲羅干しをする人などいろいろな人たちがいるのです。何十種類もの海岸の利用方法があっても規制が全くないのです。それをどうやって使っていこうかという方法論もないのです。法律はただ海岸法があるだけです。その中で日本の海岸が守れるかということなのです。

 昭和30年に海岸法が作られました。私が昭和26年生まれですから、私よりも少し若い海岸法です。それが先ほど言いましたように私達にいろいろな自由を与えてくれたのですが、もうこれ以上海岸が保護できなくなってきました。私は国や県に海岸環境を守るための法律に変えて欲しいとずっと働きかけてきました。そして海岸法が改正されたら死んでもいいとまで思い込んでずっと訴えてきました。それは世間のみなさんは知らないことでしょうけれども、私は静かにそれをやってきました。2000年、ついにこれが40数年ぶりに改正されました。私は遠州灘海岸115kmを対象にやってきたのですが、海岸は国の法律で決められているので、変えるときには日本全国の海岸の法律が変わることになりました。改正された海岸法には、海岸環境を守ることが盛り込まれました。私の提案したウミガメや海浜植物、野鳥の生息地を守るということが盛り込まれました。私にとって115kmを目標にしていたのが、日本の海岸2万7,000kmが対象になりました。しかし、その頃に軽はずみに死んでもいいなどと言ったのですが、まだこうして生きているということはまだやらなければいけないことがたくさんあるということです。これから始まるということなのです。

 もし、この中で海岸に興味のある方がいたならば、今から海岸の環境学をやられたら日本の権威者になるのではないでしょうか。今はまだ誰もいません。そういう学問すらないのです。沿岸海域の環境の学問もありません。よろしかったら若いみなさんがそれを始められたらいいことと思います。私は現場で実際にウミガメと鳥と海浜植物、砂浜を守るための活動を実践します。そしてみなさんにデータを与えることができるので、もしそれを学問として確立したならば、これは日本の海岸線を守ることになり、そして地球の環境を守るためのかなり大きなインパクトを与える学問になるのではないかと思っています。

 海岸を守るために私達は地図を作りました。みなさんは伊能忠敬が日本地図を作ったということを聞いたことがあると思いますが、これは遠州灘海岸という115kmの海岸の地図です。この海岸を守ろうと思ったときに、言葉や写真、絵ではみなさんに伝えられないのです。そこで地図を作るしかないということで、115kmを4年かかって漁船に乗って絵図師の方と一緒に「どこの海岸には何がいるか、どんな地形か」というものを作りました。これは先生のところに置いておきますので、是非資料として使っていただきたいと思います。

 これは天竜川の絵地図です。213kmあります。これもやはり2年がかりで作りました。上は諏訪湖です。下は遠州灘海岸です。よくみなさん海岸がなくなるのはダムが作られたからだろうと言われます。しかし、とんでもない話だと私は思います。ダムを作ったのはここ数十年です。海岸ができたのは数十万年前です。数十万年のものがこの40年間でなくなってしまうのはおかしいではないか。実はダムが砂を供給しなくなったという事実もありますが、それ以前に車が走り回ってその地図に書いたような海岸が海に沈んでいっているのです。「日本沈没」という本を書いた人がいますが、まさしくこれが日本沈没なのです。そして、海岸がなくなっていく。そこで私は、「遠州灘海岸を作ってくれた天竜川をよく知ろう」ということで、天竜川の地図を作ったのです。こんな地図は他にはありません。国土地理院の地図とは、わけが違います。是非みなさんにも見てもらいたいと思うのですが、この天竜川沿いにおいしい食べ物や、どんな文化があり、どんなの祭りがあり、どんな生物が生息しているか、どうして浜松に文化が来たかということがこの地図の中に表されています。

 さらに、先日もう一つ作りました。なぜ作るかわかりますか。年に1回は新しいことを一つやろうという目標でやっているのですが、もう一つは環境を知るためにはやはり地図を作るのが1番いい。そうすると、そこの地図を私達がよく見るし、また調査するし、そしてみなさんに紹介しやすいということです。これは浜名湖の地図です。これは全部売り物なのですが、センターでしかまだ販売していません。2004年に静岡県の浜名湖で園芸博覧会が開かれます。全世界から人が集まってきます。そのときに浜名湖をよく知ってもらおうということで作りました。しかし、浜名湖は丸いのです。最初、「なぜまっすぐなんだ。川じゃないんだ」と言う人がいるので、中央付近を三角に折り曲げると丸くなります。まっすぐだった地図がU字になり浜名湖になるのです。この地図で浜名湖を紹介しているのです。地図は、自分達が守ろうとしている環境をよく知ることと、そしてみなさんにそれを紹介しやすいことに役立ちます。そしてもう一つ大いに役立っていることがあります。普段、「ウミガメの調査は大変ですね。みなさんは明日からどんな環境にいいことをするのですか。明日から何ができますか」と伺うと、「何もできない」と答えが返ってきます。「では心苦しいでしょうから、せめてこの地図を買って帰って下さい」ということで、この地図を売ってそれを活動資金にしています。今日はみなさんに売るつもりはないので、1部しか持ってきませんでした。普段ですと何百冊も持ってきて、その会場で販売してそれを活動資金にしています。

 今日はあまり時間がないので詳しくはお話できませんが、是非みなさんに来ていただきたいと思っています。今からスライドを見ればきっと来たくなるのではないかと思うので、今からスライドに移りますが、海岸の多様性をどうやってきちんと次の時代に伝えておくかということが大切です。私の生まれたときには海岸法しかありませんでした。それもざるのような海岸法でした。堤防で海岸線を守って国土を守るということしかありませんでした。しかし、テトラポットは1個80万円もするのです。あんなものを海岸線に埋めて税金を使うのではなく、砂浜だったならば波が寄せて優しく返します。それがテトラポットならば1個80万円、コンクリートの護岸だと1m100〜150万円もかけて堤防を作るわけです。そんなかたちで国土を守る海岸法はだめで、海岸の砂浜を守れるような海岸法に改正したので、これからはみなさんの力でこれをより良いものとして次の時代に伝えていくというのが大切だと思います。

<以下スライド使用>

 ではスライドに移ります。これは市民の人達にウミガメの話をしているところです。

 もちろん部屋の中だけではだめなので、外に出て海岸を歩いてもらうのですが、今これは非常にきれいなゴミが何も落ちていない海岸を歩いているところです。

 これは砂浜で穴を掘っているところですが、実際にウミガメが卵を産むときには、子供が肩まで入りそうなところまで穴を掘ります。

 これは早朝のウミガメのパトロールで、ウミガメの産卵調査を市民の人と一緒にしているところです。静岡県でウミガメ調査の許可を持っているのは私一人です。その私が任命した31名の調査員の人がいます。それ以外の人は卵に触れることはできません。しかし、私達と一緒に行ったときには一般公開をしていて、調査をみなさんに一緒にやっていただくというかたちを取っています。そのために市民がこのように朝早く来るのです。今日はみなさんにお話をするために昨夜は東京に泊まったので、今朝3時半に起きなくて済みました。久しぶりにゆっくり寝たら朝起きると頭がボーッとしてしまいました。普段は3時半に起きて海岸に行って7時まで調査をやって、それから勤務につくという生活をしているのですが、今日は寝てしまいました。

 これは今ウミガメの足跡を発見したので説明しているところです。

 これが卵です。ピンポン球くらいの大きさで、1回に約110個産みます。

 今買い物袋を持っているところです。3kg程度あり、けっこう重いです。

 それを孵化場というところに埋め戻します。私達はウミガメの産卵した卵を掘り出して別の海岸に埋めています。

産卵のカメが嫌う花火の光と音

 これは夜のパトロールです。夜の海岸にパトロールに出て市民のみなさんに説明しているところです。

 花火をやる人がたくさんいるのです。朝まで花火をやっています。今コンビニエンスストアで花火を安く売っているので、その花火を買って抱えるようにして持ってきて花火をやっています。そうするとそこに卵を産まなくなってしまうのです。光や音を嫌ったカメが上がってこなくなるのということで、こうして注意して回っています。

 この六人のグループはかわいそうなもので、突然350人が暗闇からやってきて取り囲まれているのです。私が「花火をやめてくれますか。ここはカメが卵を産むところで光や音を嫌うのです」と言うと、この人たちはしゅんとして座り込んでいるのですが、実はその後たいへんなことが起きたのです。彼らはやめてくれました。しかし、いたるところでやっているので、ずっと海岸を何kmかに渡って注意して回っていきました。戻ってくると先ほどまで花火をやっていてやめたところでカメが産卵を始めたのです。

 前にカメがいます。カメをみんなで見ているのです。花火を注意していたのを海でカメが聞いていたようです。これは現実のものにしなければ効果がないということで、カメは早速そこに上がってきて、産卵をはじめたのです。この350人の市民は「本当だった。本当に花火をやめるとカメが来るんだ」ということでこれがテレビにも映ったり、自治体の広報誌に載ったりして話題をさらった写真の1枚になりました。こんなに大勢の人に見られていたのですが、無事にカメは卵を産んで啓発活動の一端を担ったということです。

 これは海に入るところです。

 これは私が最初に守ろうと言った中田島砂丘の近くにある馬込川の河口のアシ原です。このアシ原は今は何の変哲のないのですが、夏になるとたくさんのツバメが集まってきます。約6haあるのですが、このアシ原に夏になるとこうして緑のアシ原が茂ります。この芦原にツバメが寝に入ります。ですからツバメの塒(ねぐら)と言われているところです。

 ツバメは軒先に巣を作ります。こうして軒先に卵を産んで子供を育てるという巣を作ります。しかし、このお宅はこちらをガラッと開ける玄関なので、ご主人はここに巣を作ってもらいたかったのです。ところが、ツバメはこちらに巣を作ってしまった。これは人が出入りするところのほうがヘビに襲われないので、ほとんどのツバメは入り口の出入りするところに巣を作ります。ですから昔からツバメの巣を作るお宅は繁盛すると言います。繁盛ということはつまり人の出入りが多いということです。 こうして怪獣みたいな子供が精悍なツバメになるのです。

 卵を産んでから2週間で孵化して、3週間で飛べるようになります。

 この子供たちがどこに集まるかというと、先ほどの馬込川の河口のアシ原です。昭和54年に日本最大級のツバメの塒が発見されました。この様子は、実は日本の童謡にいろいろありますが、夕焼けの歌があります。夕焼けというのは太陽が西の空に沈むときに空が赤くなるのを夕焼けと言います。太陽が沈んで10〜15分するともう一回空が赤くなります。これが「小焼け」と言うのです。夕焼けと小焼けは違います。その小焼けのときにならなければツバメはやってこない。ですから夕焼けのときに行ってもツバメは1羽もいません。しかし、小焼けになったときに行くとツバメがわっと集まってきます。

 これは空を見ているのですが、黒いのがツバメです。このようにしてツバメの塒になっています。

 これは中田島砂丘で、ツバメの塒になっているところのすぐそばです。
 これはハマゴウです。
 これはハマボウフウです。
 これはハマヒルガオです。
 これはハナニガナです。
 これはハマエンドウです。
 夏になるとみんな海にやって来たくなるのですが、そのやって来たくなる頃にアカウミガメもやって来るのです。






Copyright (C) 2002 B-LIFE21 All rights reserved.
Feedback to postmaster@zeroemission.co.jp