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渋沢栄一(13)歴史散歩 徳川慶喜訪問

🔽 静岡県城下の宝台院で慶喜公にパリ報告

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紺屋町の元代官屋敷(現在の浮月楼)の庭園

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静岡で最初に自転車に乗った慶喜公

将軍・徳川慶喜の名代としてパリ万博派遣を命じられた実弟昭武(あきたけの)の随行員(総勢33名)の一人として1867年1月にパリへ向け横浜港を出発、3月初め到着。実務に長けていることから「庶務・会計」の任にあたる。パリを中心に約1年半、欧州に滞在した。日本は激動の時代で、同年10月に慶喜が「大政奉還」し、徳川幕府は崩壊。翌年1868年には明治政府が樹立、慶喜は静岡県城下の宝台院で謹慎生活を送る。同年11月帰国した渋沢は12月下旬、静岡に向かい、宝台院で慶喜に拝謁し、昭武のパリ滞在中の活躍や欧州事情などを説明した。慶喜の謹慎は69年9月に解除された。その機会に静岡市葵区紺屋町の元代官屋敷(現在のレストラン浮月楼)へ転居、以来約20年余を当地で過ごす。政治に距離を置き、銃猟、釣り、囲碁、将棋、洋画、園芸、サイクリングなど趣味三昧の生活を楽しんだ。東京移転後の晩年はカメラ、自動車ダイムラーの運転などにも熱中した。

🔽 株式会社組織の商法会所設立、株式会社1号

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大蔵省出仕当時の渋沢栄一

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商法会所の所在地は慶喜公の屋敷内に置かれた

渋沢は慶喜の推薦で、静岡藩の勘定方の仕事に就く。同藩は無禄覚悟で移住してきた大勢の幕臣たちの存在もあり、深刻な財政難に陥っていた。渋沢は同藩の財政再建の一助として株式会社(合本組織)組織による商法会所の設立を建議し自ら頭取になる。駿河、近江の富農商に出資を働き掛け、藩庁からの出資金、政府からの拝借金も加えて合計約29万5千両の資本金を集める。69年1月に官民出資の日本初の株式会社が設立された。新設の商法会所は金融と商社を一体化したような事業を展開した。年貢米の売却、米穀などの日用品の大量購入、大量販売、さらに藩の特産品であるお茶や漆器を藩外に販売するなど意欲的に事業を展開し、多大な成果を挙げた。渋沢の活躍は当時大蔵省大輔(次官クラス)だった大隈重信の知るところになり、同年11月同省に局長待遇でスカウトされる。

2025年12月28日

 

 

作成者: tadahiro mitsuhashi

三橋規宏 経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から名誉教授、専門は経済学、環境経済学、環境経営学。主な著書に「新・日本経済入門」(編著、日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)など多数。中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など歴任。

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