25回 ボーゲルの「ジャパンアズナンバーワン」がベストセラーに
△アメリカ、日本型経営に学ぶ
アメリカの社会学者、エズラ・F・ボーゲル著の「ジャパンアズナンバーワン」(和訳)が出版されたのは1979年6月だった。
第二次世界大戦後、経済、軍事両面で圧倒的な力を誇示し、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)といわれた繁栄の時代を謳歌したアメリカだが、1970年代から80年代へかけ衰退期を迎え、急激に元気を失った。アメリカ主導で構築された国際通貨秩序、ブレトン・ウッズ体制(45年発効、国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定の総称)は71年8月のニクソン・ショックで崩壊した。ドル不安に加え2度の石油ショックで深刻なスタグフレーション(景気後退とインフレの同時進行)に陥ったアメリカは、貿易と財政両収支の双子の赤字に苦しめられた。失業率も70年代後半には7%前後で高止まりしたままだ。日本やドイツなどの敗戦国の復活、台頭で、米産業の国際競争力は急激に衰えてきた。道路や港湾、橋梁、高層ビルなどの社会インフラは老朽化による綻びが目立ってきた。鉄鋼や自動車などの工場群も旧式設備のままで生産性は低下し、新鋭設備の日本やドイツとの競争で劣勢に追い込まれていた。
たまたま、筆者は70年3月から1年間、民間の経済予測機関、ニューヨーク・マンハッタンにあるカンファランスボード(CB)で経済予測手法を学ぶため出向した。CBは国連本部近くの高層ビルの中にあった。地下鉄を降りて、CBに通う道は、アスファルト舗装の一部が壊れ、犬の糞が道路脇にちらばっていた。ごみの山があちこちに放置されていた。マンハッタン中心部にもかかわらず、冬期は重油暖房に伴う煤(すす)で街中が黒ずんでいた。その昔、アメリカンドリームの映画に出てくる元気はつらつとしたマンハッタンの姿はなく、その違いに驚いた経験を今でも鮮明に覚えている。
時代の大きな変化の中で、敗戦国、日本の元気ぶりが目立ち、戦勝国、アメリカが衰退気味という皮肉な現象の中で、欧米先進国の関心が一斉に日本に注がれ始めた。
世界GNPに占めるアメリカの割合は、パクス・アメリカーナの50~60年代には 半分弱を占めていた。それが、1970年(昭和45年)には30%、本書出版の1年前、78年には21.8%まで低下した。同じ期間、日本は0%近くからスタートし、70年には世界GNPの6%、78年には10%に達した。アメリカの半分の規模にまで達した。
ボーゲルは著書の序文の中で次ぎのように問題提起をしている。
「他のアメリカ人同様、私も自分の国で起こっていること、つまり国民の政府への不信感の増大とか、犯罪、都市問題、失業、インフレ、国の赤字財政といった問題に対して、国も社会も無策の状態でいることに関心を払わざるをえなくなった」と。
これに対し、「日本はGNPの点では世界一ではないし、現在政治の面でも文化の面でも世界の指導的立場に立つ国とはなりえていないことは確かだが、しかしながら、日本の成功をいろいろな分野において子細に観察してみると、この国はその少ない資源にもかかわらず、世界のどの国よりも脱工業化社会の直面する基本的問題の多くを最も巧みに処理してきたという確信をもつにいたった。私が日本に対して世界一という言葉を使うのは、実にこの意味においてなのである」
そして、「私が期待するのは・・・日本の経済的成功がアメリカによい意味での刺激を与え、われわれアメリカ人が建設的、創造的な対応をしていくことなのである」と本書執筆の目的を述べている。
ボーゲルは日本の経済的成功は、単に経済界の努力だけではなく、政治、行政も加えた三者(政官財)の協力によるものだとして、日本の政治、行政システムをも詳細に分析をしている。
ここでは企業、特に大企業の経営システムに言及している部分をとり上げる。
ボーゲルは日本とアメリカの自動車工場の従業員の働きぶりの違いから日本型経営の特徴にアプローチする。
「アメリカの工場はまるで軍隊のようだ。作業長は工員が怠けないように常に目を光らせているし、工員のほうも作業長に好感をもって仕えていない。ところが日本の工場では、工員は別に監視されていなくともよく働くし、上司に対する反感もほとんどない。そして心から企業の発展を願っているようだ」と述べている。
このように「日本の労働者が企業に忠誠心を持ち、仕事に大きな誇りを持っていることが、安くてしかも良質の製品を生み出す源泉になっている」と指摘している。
それでは日本型経営はどのようにして生まれたのだろうか。
ボーゲルによると、日本型経営は一般に指摘されているような東洋的精神、日本人の伝統的国民性、昔から引き継がれてきた美徳(たとえば勤勉、忍耐力、克己心、他を思いやる心など)などによるものではない。19世紀末、日本が明治維新を経て近代化へ踏み出す過程で誕生したものだ、分析している。
日本型経営は近代西欧型経営から多くの概念を取り入れている。すなわち「企業戦略、製品のライフサイクル、市場調査、市場戦略、経理システム、計量経済学、現在広告学、最新の情報処理などである」と。すでにこの連載でも指摘したように終戦直後、若手経済人が集まって発足させた経済同友会はこぞって近代西欧型経営システムを学び、各企業は積極的に経営の中に取り入れている。
ボーゲルは、「それと同時に、戦前から日本にある独特の制度・思想も含まれているところに大きな特徴がある。それは長期計画、終身雇用制、年功序列、従業員の会社への忠誠心などである」
この部分は渋沢イズムそのものだが、ボーゲルが本書出版にあたって渋沢の業績を知っていたのかどうかはわからない。
ボーゲルも、戦前の経営と戦後導入した近代西欧型経営が合体して、日本型経営が誕生したと考えているようだが、渋沢イズムの存在を知っていたのかどうかは、不明である。
いずれにせよ、日本型経営が停滞気味のアメリカ産業の復活に役立つことを期待して執筆したことは明らかだ。
アメリカの未来学者、ハーマン・カーンも日本の経済発展に注目した一人だ。ボーゲルの出版より10年近く前に来日し、1969年10月、京都産業大学で「21世紀の日本」と題して講演した。
「経済成長率が現在とほぼ同じ割合で伸びていくと想定すると、1975年までに、すなわちあと7年間で、日本の国民所得は2倍になる。そしてまたその10年後の間にさらに2倍になる。それから以後は20年、あるいは30年という振幅で倍増していく。こんなふうに日本の経済の将来は非常に大きく、また非常に明るい」と絶賛している。
2023年5月28日記