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新1万円札の顔、渋沢が愛した資本主義

22回 トヨタ、松下、YKKに見る独立系企業の経営

△木川田一隆と企業の社会的責任

経済同友会の問題提起として、もう一つ注目されるのが木川田一隆(東京電力社長、会長歴任)の存在だ。経済同友会代表幹事(1960~62年、63~75年)を2期、合わせて14年務めた。

日本の高度成長期に就任し、人間尊重の理念をベースにした企業の社会的責任の必要性を提唱した。人間尊重の理念をベースにして、企業の協調的競争の必要性を訴えた。単純な自由放任主義では産業界を取り巻く諸問題を解決できず、政府の介入を招くとの危機感から、民間の自主的で適切な競争環境の整備を推進すべきと主張した。そのための討議の場として「産業問題研究会」(略称産研)を立ち上げた。過度な競争によるダンピング、外国から「安かろう悪かろう」のレッテルを張られた輸出製品、さらにIMF(国際通貨基金)、やGATT(関税および貿易に関する一般協定)加盟によって先進国の仲間入りをすることになった日本の企業としての風格が求められる。一方、財閥解体で小粒になった企業が海外企業と伍していくためには合併や再編によって企業規模を拡大することの必要性も提唱された。

1970年の八幡・富士製鉄の合併はその代表例だ。1950年代には年間500件余りで推移していた企業の合併数が、その後10年余りの間に2倍を上回るほど増加した。木川田産研の研究成果と受け止められた。

木川田の企業の社会的責任論は、渋沢の「経済と道徳の両立」、利他主義、労使協調、公正競争、適正利潤の追求などを掲げる渋沢イズムと同じ路線上にある。

 

△トヨタ、パナソニック、吉田工業に代表される労使協調路線

戦後、急速に大きく成長した日本企業の中には、渋沢イズム系、経済同友会系企業群とは別に、労使協調路線を高く掲げた独立系の企業群も多数参加している。そ代表的企業3社を次に紹介する。

 

〈〉トヨタ自動車

トヨタ自動車の創業は、1933年(昭和8年)9月、豊田喜一郎が豊田自動織機製作所内に設置した自動車部に始まる。自動車部が独立し、トヨタ自動車工業(株)となったのが1937年(昭和12年)。生産、販売などで生みの苦しみと闘い、経営者の交代などを乗り越えて、世界のトヨタへ大きく躍進できたのは、創業者喜一郎が1935年(昭和10年)に作成したトヨタの企業理念である「豊田綱領」と1962年(昭和37年)に労使間で交わされた「労使宣言」がある。豊田綱領は①社業を通して社会に報いること、⓶研究と創造に心を注ぎ、常に時代の先を行くこと、⓷温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を造ることなどで構成されている。一方、「労使宣言」の基本的な考え方は「相互信頼に基づく労使協調」と「生産性向上と労働条件改善の同時実現」である。この二つが合体し、トヨタのかんばん方式、改善などトヨタ式経営スタイルが出来上がり、モータリゼーションなど時代の後押しもあり、世界のトヨタへ大きく飛躍することができた。

 

〈〉松下電器産業(2008年、パナソニックに社名変更)

松下電器産業の創業は1918年(大正7年)、松下幸之助によって設立された。二股電球ソケット、自転車用電池ランプなどの製造、販売からスタートし、戦後、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、エアコンなどの家電総合メーカーとして大きく成長する。幸之助は創業理念として、

「企業は社会の公器」、「すべての活動はお客様のために」、「日に新た」を掲げたが、この経営理念はパナソニックにも引き継がれている。幸之助語録に登場する「水道哲学」も含蓄がある。幼少期、赤貧に喘いだ幸之助が、水道の水のように低価格で良質の製品を大量に供給することで消費者の生活安定に寄与したいとする心の願いが込められている。

労使協調による経営も独特のアプローチをしている。松下電器の労働組合は1946年(昭和21年)、大阪の中央公会堂で結成大会を開いた。幸之助は招かれていないにも関わらず、祝辞を送りたいと会場に駆け付けた。祝辞を拒否すべきだとする組合員もいたが、結局受け入れられた。

「労働組合の誕生は、真の民主主義にもとづく新しい日本を築く上で歓迎すべきことである。正しい経営と、皆さんが考える正しい組合とは必ず一致すると信ずる。共々力を合わせ日本の再建に邁進していこう」と呼びかけた。誠意に満ちた幸之助の訴えに、会場から大きな拍手が沸き起こった。幸之助の経営理念、労使協調、社会への貢献などの考え方は渋沢と

瓜二つといっても過言ではないだろう。

 

〈〉吉田工業(1994年、YKKに社名変更)

吉田工業の創業は1934年(昭和9年)1月、ファスナー王、吉田忠雄によって設立された。ファスニング、建材、ファスニングおよび建材加工機械などの製造販売に携わっている。

忠雄の経営理念に沿って非上場企業を貫いているため、会社の概要を知らない向きも多いと思う。現在、資本金約120億円、売上高約8000億円、全世界70か国以上に支店を構え、国内外合わせ従業員数約4万5000人、世界を相手にグローバル事業を展開する大企業である。

 たまたま本稿執筆中の今年(23年)4月、YKKの二代目社長(現相談役)、吉田忠裕の「私の履歴書」が日本経済新聞に掲載され、忠雄の人となりが紹介されている。

履歴書でも紹介されているが、忠雄の経営哲学の核心は「善の循環」である。「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という考え方が出発点である。他人とは得意先、取引先であり、さらに広げれば社会全体である。社会に貢献するために会社は企業価値を高めなければならない。忠雄は経営者と社員を区別せず、「社員は皆私の子だ」と述べ、大家族的経営を目指してきた。

忠雄は企業活動で得た付加価値の3分配を提唱、実践している。顧客、取引先、経営者と社員で構成する自社である。ここには株主が入っていない。忠雄は「株式」を「事業への参加証」と位置づけ、額に汗して働く社員が持つべきだ、として株式の上場を拒否してきた。

渋沢との接点はなかったと思われるが、労使協調路線による会社経営は渋沢イズムとそっくりである。

2023年5月23日記

作成者: tadahiro mitsuhashi

三橋規宏 経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から名誉教授、専門は経済学、環境経済学、環境経営学。主な著書に「新・日本経済入門」(編著、日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)など多数。中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など歴任。

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