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新1万円札の顔、渋沢が愛した資本主義

11回 ▽英国病克服に挑んだサッチャーと同じ視点

 すこし脇道にそれるが、ここまで書いてきて、市場経済の下では「貧富の格差が生まれるのは避けられない」とする渋沢の考え方は、70年代末に英国病の克服を目指して首相に就任したマーガレット・サッチャーの考え方と極めて似ていることに気付いた。筆者は70年代後半から90年代初めまで約10年余、小さな政府を目指して英国病克服に取り組んだ彼女の経済政策、いわゆるサッチャリズムを新聞社の欧州駐在記者として直接取材し、単行本として「サッチャリズム」(中央公論社)を出版した。

サッチャーは戦後、英国病といわれるほど、イギリス経済が停滞してしまった原因は、「揺りかごから墓場まで」を掲げて、労働党政権の下で大きな政府を目指したことに原因があると指摘する。主要企業を国有化し、賃上げを求めて労働組合はストライクを連発し、人々は働かなくなった。労働組合は「第二の政府」と言われるほど大きな力を持った。累進課税によって富者の所得税を大幅に引き上げ、貧者に再分配した。国有化された企業の国際競争力は低下の一途をたどった。高水準の年金支給、医療費負担の無料化などで財政赤字は膨らみ、経済成長率はマイナスに沈んだ

このような現状を前に、サッチャーは次のように国民に呼びかけた。

「金持ちを貧しくさせたからといって、貧しい人たちが豊かになるわけではない」

「強者なくして、だれが弱者に与えるのだろうか。成功者を押さえつけることは、助けを必要としている弱者を痛みつけることにほかならないのではないか」

渋沢の主張と驚くほど似ている。明治維新によって、日本が経済の近代化をめざして歩み始めた初期の資本主義経済を生きた渋沢は、今日に通ずる資本主義経済の根底に潜む貧富の格差拡大のメカニズムを鋭く見抜いていた。

ただし万事がバランス主義者の渋沢は、次の部分を加えることも忘れない。

「とはいえ、常に富者と貧者の関係を円滑にして両者の調和を図るための努力をすることは、見識のある者に課せられた義務である。(貧富の格差は)、自然の成り行きだし、人間社会の避けられない定めだとして、放置しておけば由々しき事態を招くのも自然の成り行きだ。だから禍が小さいうちに防ぐために王道を広げていくことを願っている」と結んでいる。

富者と貧者が社会に存在することは仕方がないことだが、だからといってその状態を野放しにしておけば禍が大きく膨らみ手に負えなくなるので、富者は貧者に対する思いやりの心を持ち、貧者は立ち上がれるため努力を惜しむべきではないし、貧者も富者をただうらやみ敵視するのではなく、自らも努力しなければ調和のある社会を築くことはできない、と渋沢は指摘する。

△貧富の格差拡大で、分断社会に陥った米国

 「貧富の格差を放置しておけば、由々しき事態に陥る」という渋沢の予言は、貧富の格差拡大、中産階級の没落を引き起こし、1枚岩だった米国社会を分断社会に転落させてしまった事実を見れば明らかだろう。

表面的にはアメリカ型資本主義は世界を席巻し成功したかに見えるが、一歩内部に踏み込むとアメリカ型資本主義の欠点、弊害のマグマが燃え滾っており、爆発寸前の状態に追い込まれている。自由競争を前提とした経済システムの下では、能力のある者が栄え、能力のない者が没落せざるを得ない。それが資本主義の本質である。一握りの勝者と大部分の敗者の間の所得格差を放置し、拡大させれば社会不安を招き混乱が生じる。富める者がさらに富み、貧しい者がさらに困窮する。時間の経過と共に貧富の2極分化が進む現象をグラフ化すると、K字型になる。富める者の所得は右肩上がり、貧しい者の所得は右下がりとなり、両者の乖離幅は時間の経過につれて拡大している。

1989年の上位10%の所得比率は38%だったが、30年後の2019年には45%に上昇している。逆に下位50%は17%から13%へ減少している。

「つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等」(エマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマン著、山田美明訳、光文社)によると、2019年現在、米国の労働者階級(所得階層の下位50%)は成人の約1億2000万人を占め、年平均所得は1万8500ドル(約190万円)に過ぎない。米国の人口(3億2900万人)の約36%が200万円程度の生活を強いられていることに驚く。

また上位1%(約240万人)の年間平均所得は150万ドル(約1億5000万円)、その頂点にいるのがジェフ・ペソス(資産13兆円)、ビル・ゲイツ(10兆円)、ウォーレン・バフェット(8兆円)などの超富豪たちだ。今年(2023年)2月下旬、ブルームバーグ通信が明らかにした今年の世界一の金持ちは、電気自動車テスラのCEO(最高経営責任者)、イーロン・マスクの約26兆円だった。資産総額はさらに大きく膨らんでいる。

一方、株式や債券、現預金、土地や家屋などを加えた総資産の保有シェアを比較すると、富者と貧者の資産格差がさらに目立つ。1989年当時、上位1%の資産シェアは30%、逆に下位50%のシェアは3%だった。30年後の2019年には上位1%が37%に上昇、下位50%が1%まで低下しており、貧富の格差が拡大していることが分かる。

さらに興味深いことは、両者の間にいる中間層(中産階級)の変化である。同じ期間で比較すると、上位9%(90~99%)の資産シェアは37%から39%へわずかとはいえ増えている。逆に上位50~90%(中間層)のシェアは30%から22%へ縮小している。

このことから、米国の資産は上位10%のシェアは拡大しているが、それ以下の90%の資産シェアが下がっていることが分かる。特に中間層のシェアダウンが目立つ。

過去30年の間に急速に進んだ米国の所得、資産格差が、アメリカンドリームに代表される伝統的なアメリカの価値観を崩壊させ、他国との協調路線の放棄、自国第一主義の保護主義の台頭を招き、アメリカ社会の分断を広げている。アメリカ型の剝き出しの資本主義は成功したがために限度を超えた所得格差を生み、崩壊のピンチに追い込まれている。トランプ前米大統領(2101年1月~21年1月)は分断社会の負け組に訴えることで登場してきた異端児である。

渋沢がこの事実を知れば、「私が愛した資本主義ではない」と眉をひそめたに違いない。

2023年3月24日記

作成者: tadahiro mitsuhashi

三橋規宏 経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から名誉教授、専門は経済学、環境経済学、環境経営学。主な著書に「新・日本経済入門」(編著、日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)など多数。中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など歴任。

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