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新1万円札の顔、渋沢が愛した資本主義

4回 朱子学とは違う、農工商階級向けに「渋沢論語」を提唱

渋沢と論語の関係は深い。渋沢著、竹内均編・解説の「論語の読み方」(2004年初版、三笠書房)が面白い。表紙の裏に本書推薦の次のような一文がある。

「孔子の生き方、つまり『論語』のエキスをそのまま日常生活、仕事に応用して成功した代表が渋沢栄一である。『論語』をなめるように読み、実践していったのである。人生への取り組み、自分の長所を磨き育てる工夫、そしていい人間関係の築き方など、この本との対話には面白い感動的な発見がある」

渋沢は彼を慕って集まる経営者、ビジネ人、官僚、学生などを相手に様々な訓話をしている。訓話の中味は「人生如何に生くべきか」に関するものだ。対人関係、成功や失敗をしたときの心構え、自己研鑽の仕方など多岐にわたる。論語に関する渋沢の訓話をまとめた本に「論語講義」がある。膨大な量に達する。実は本書の「論語の読み方」は正確に言うと渋沢著ではない。三笠書房の編集者と竹内均が渋沢の興味深い訓話を集め出版したものである。

竹内はご存知の方も多いと思うが、物理学者で東大教授、名誉教授、科学雑誌「ニュートン」の初代編集長も務めている。物理学者による渋沢論語の解説という異次元の組み合わせだけでも興味深い。その竹内はすでに故人だ。

孔子は紀元前500年頃の中国・春秋時代に活躍した思想家、哲学者で儒教の創始者。孔子の死後、約400年かけて孔子の教えを弟子たちが編纂したのが論語である。3000人を超える弟子がいたという。釈迦、キリスト、ソクラテスと並んで世界の四聖人と称せられる。

日本に儒教が伝わったのは仏教よりも早く、513、継体天皇の時代に百済より五経博士が渡日して伝えられたとされている。

 江戸時代、幕府は国家統治の学問として、儒教の一派、朱子学を採用した。朱子学は南宋の朱熹(1130年~1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系だ。

江戸幕府を開いた徳川家康は、関ヶ原合戦の数年後、当時、儒教の大家、藤原惺窩(せいか)から朱子学の若手学者、林羅山を紹介される。彼の才能を認めた家康は、23歳の若さの羅山をブレーンの一人に抜擢した。

羅山は期待に応え、その能力を発揮し、幕府の学問としての朱子学を定着させる。羅山

は、人間は天理を受け、その本性は善であるが、情欲に覆い隠されているため、充分に発揮できないとして学問によって宇宙を貫く理を極め、修養によって情欲を取り去るべきだ、と述べている。さらに幕藩体制を維持するため、武士世界の身分秩序を絶対化し、士農工商の身分制度を正当化した。礼儀作法などはそうした秩序維持のために必要だと位置付けた。

男女差別も厳しく、「女三界に家なし」で女性の地位は低く抑えられた。「三界に家なし」とは、女性は幼少のときは親に、嫁に行けば夫に、老いては子供に従わなくてはならないという女性蔑視の教えだ。男女平等で育ってきた今の若者にはとても理解できないだろうが、儒教も解釈次第でこのような教えがまかり通ってしまう。

別の回で触れるが、渋沢は「論語と算盤」の中で、この女性蔑視を厳しく批判している。

中国では漢の時代(紀元前221年~220年)に儒教が国を治める教えとして採用され、隋の時代(581~618年)に、その知識を問う科挙(官僚登用試験)が導入されると、儒教の教えは一気に広がり、清(1616年~1912)の時代まで続いた。中国での儒教の教えは、「強い立場の人に弱い立場の人は素直に従え、それが争いを防ぐために必要だ」というものだ。江戸時代に定着した「女三界に家なし」に似た教えも存在した。中国人の友人によると、中国の儒教は江戸時代の朱子学の教えとそっくりで、今でも庶民の生活を支えている。だが若者には人気がないという。

江戸時代、武士階級の間に広がった朱子学とは別に、農工商階級の間では孔子の教えの原型である論語など四書五経を直接読み、自分の行動規範とする動きも広がった。

たとえば、江戸時代の思想家、倫理学者、石田梅岩(1685年~1744年)の石門心学だ。梅岩は農民出身だが、若くして京都の商家に丁稚奉公し、仕事に精を出す一方、神道、儒教、仏教を独学で勉強し、独自の経営哲学を樹立した。商業に従事する多くの弟子を抱え、新しい時代の商業道の在り方を説いた。士農工商の枠を取り払い、公正、公平な事業によって利益をあげることは当然の行為としたが、不正行為による利益の追求を厳しく戒めた。「実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり」と述べている。事業を短期的視点で捉えるのではなく、長期的視点から捉えるところにも特徴がある。儲けることよりも「永続性」が重視されるのは、江戸時代から続く商人哲学と言えるだろう。企業の永続性を貫くためには、本業を通して商売相手も我も利益をあげられるように配慮しなければならないと説いている。

渋沢もその一人だ。渋沢は生涯、論語を愛し、論語の文献を集め、四書五経を熟読し、講読会を開き、儒教倫理を説いた。渋沢が論語にのめり込んだのは彼の出生と関係がある。彼の故郷は武州・血洗島(ちあらいじま)、今の埼玉県深谷市にある。農業を営む父親の市郎右衛門はただの百姓ではない。儒教を学び、藍の商売に長け、豪農だった。その父親から論語を学び、青年期には従兄弟の尾高惇忠からも論語の訓話を受け、論語の知識はかなり深まっている。渋沢自身も論語を熟読し、孔子の言葉を自分で納得できるまで吟味し、「渋沢論語」を創り出した。

渋沢には、少年時代、地元の代官が農民を一段低い身分として扱い、威張りまくり有無を言わせず、不当な方法で上納金を徴収された苦い体験がある。身分制度の垣根を取り払い多種多様な人材が知恵を出し合い事業を起こす。空理空論の学問、朱子学の束縛から脱し、実学としての論語に基礎を置く実業家、渋沢の出発点である

2023年2月1日記。

作成者: tadahiro mitsuhashi

三橋規宏 経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から名誉教授、専門は経済学、環境経済学、環境経営学。主な著書に「新・日本経済入門」(編著、日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)など多数。中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など歴任。

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