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新1万円札の顔、渋沢が愛した資本主義

3回〈〉道徳の比重が高い渋沢資本主義

事業家としての渋沢は、道徳に裏付けられた経済活動をしないと、収益目的だけの拝金主義が横行し、健全な経済発展を損なってしまうという強い信念の持ち主だ。その点でスミスと比べると道徳の比重が圧倒的に高い。

渋沢の「論語と算盤」(角川ソフィア文庫)の解説者、加地伸行は渋沢が生まれ育った江戸末期の時代背景を渋沢の言葉を交えて次のように述べている。

「江戸時代以来、道徳教育を受けていたのは武士層であり、農工商にはそれが乏しかった。そのため、彼が関わる商業界では収益だけが目的の拝金主義になってしまっている。一方、武士層は朱子学的道徳教育であったため、問題があったとする。すなわち、現実を念頭に置かず、道徳のための道徳教育というような原理主義的であったため、空理空論となっていた。いわゆる道学であり、現実と遊離していたとする。これは国家を衰退させる」

さらに続けて、「道徳なき商業における拝金主義と、空理空論の道徳論者の商業蔑視と、この両者に引き裂かれている実情に対して、渋沢は〈現実社会において生きることのできる道徳に基づいた商業〉をめざしたのである」と指摘している。

 

渋沢は明治6年、大蔵省を辞して実業界に踏み出す。この時、これからの人生の指針として着目したのが論語だった。彼は「論語と算盤」の中で、「論語にはおのれを修め、人に交わる日常の教えが説いてある。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売はできまいかと考えた。そして私は論語の教訓に従って商売をし、利益をあげることを考えたのである」と。

欧米先進国に遅れて、近代資本主義の道を歩み始めた日本は「欧米に追いつけ、追い越せ」を国家百年の計として掲げてきた。欧米に追いつくために経済を発展させなければならない。それを支えるためには生産、流通、消費、サービスなど多種多様な事業体を創出しなければならない。その事業体がすでに指摘した合本組織、今の株式会社である。全国各地から有能な人材とこれまた全国に散らばって存在する小資本を集め大きな資本にまとめる。それを有効に活用し世のため人のためになる会社を創り、互いに競争し合いながら事業を展開する経済システム、それが渋沢の考える資本主義の理想である。国が豊かになるためには会社が正しい仕方で発展しなければならない。

事業に関わるすべての関係者、労使、売り手、買い手、地域、世間が満足する社会をつくらなければならない。その結果、日本全体が豊かになればいうことはない。

渋沢資本主義は企業性善説に立っている。だが、そうは言っても、現実の経済社会は理想通りにはいかない。自分だけ儲かれば良い、相手を騙して利益を得る、他人の不幸に付け込むなど不道徳や不正を駆使して利益をあげようとする者も少なくない。これでは経済活動は長続きせず破綻してしまう。継続的な経済発展のためには市場参加者が納得し遵守する一定のルールが必要になる。

市場経済は突き詰めていけば人の問題に行き着く。生産者がどのような気持ちで製品を造るのか。消費者はどのような気持ちでその製品を購入するのか。生産者がお金儲けだけで製品を造れば粗悪品でも売り抜けようとするだろう。一方、購入者は使ってみて粗悪品と分かれば、二度とその製品を買うまい。

市場経済はそこで壊れてしまう。逆に生産者が心を込めて良い製品を造れば、消費者の満足度が高まり、製品の評判が高まりさらに売れるだろう。近江商人の「3方よし」が実現する。

だから市場経済を円滑に運営していくためには、市場参加者の人格が大切だと渋沢は考え「士魂商才」を提唱する。武士の精神と商人の才覚を合わせ持つという意味だ。渋沢の造語である。日本には平安時代中期に生まれた「和魂漢才」、明治の文明開化期には「和魂洋才」の4文字が流行語になった。渋沢の「士魂商才」もそれにあやかるものだ。

士魂商才という表現は、渋沢が龍門社などで講話をする際、よく使ったとされる。龍門社は明治20年(1887年)頃に、渋沢を慕って集まった企業の経営者や管理者等によってつくられた組織、そこで渋沢は経営に関する様々な話をしている。

渋沢と同時代に新渡戸稲造がいる。新渡戸著の「武士道」には、武士の立ち居振る舞いが克明に描かれている。

同書は1899年(明治32年)、英文で出版された。「武士道」は欧米の政治家、財界人、多くの識者の間で読まれ、日本や日本人への関心が大いに高まった。新渡戸は日本人の伝統的な道徳的原理として武士道を取り上げている。日本人の精神風土が仏教、神道、儒教の影響を受け形成されたことを強調し、そこから生まれた名誉、勇気、礼、惻隠の心などを体現した日本人の生き方とし武士道を挙げている。

そこには渋沢が商人道に取り入れたい武士の精神が具体的に書き込まれている。実業界引退後にまとめられた「論語と算盤」の1章「「処世と信条」には「士魂商才」が取り上げられている。新渡戸の「武士道」を読み、渋沢は「わが意を得たり」と思ったに違いない。

士魂商才には、世の中の道理を軽視、無視し、不正や不道徳な行為で利益を上げるくらいなら、事業をやめた方がましだとの思いが込められている。改めて、アダム・スミスと比較すると、渋沢の経営哲学には道徳の比率が圧倒的に高いことが分かる。

2023年1月26日記

作成者: tadahiro mitsuhashi

三橋規宏 経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から名誉教授、専門は経済学、環境経済学、環境経営学。主な著書に「新・日本経済入門」(編著、日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)など多数。中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など歴任。

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