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超金融緩和政策はデフレ克服の起爆剤にならなかった

黒田日銀総裁の10

黒田日銀総裁が就任したのは2013年4月、前年の12月下旬、安倍晋三首相が誕生した。首相が提唱する「アベノミクス」を金融政策面で支えたのが黒田総裁だった。来年4月に2期10年の任期を終える。  

「黒田バズーカ」と呼ばれる超金融緩和政策は成功だったのか。それとも円安と株高をもたらす一方で、金融機関の収益悪化、産業構造転換の遅れなどを招き、経済回復には繋がらなかったという厳しい指摘もある。果たして「黒田総裁の10年」はどうだったのか。

 

 バブルが崩壊した後、日本は長期デフレ経済に陥った。バブルが崩壊した1990年台に入った頃の日本の名目GDPはほぼ500兆円台だった。それから約30年後の2021年の名目GDPも約500兆円台だった。30年間、日本の名目GDPはずっと500兆円台で横ばいを続けてきた。30年間ゼロ成長を続けてきたことになる。

 仮に年率で1%成長していたら30年後のGDPは674兆円(1.3倍)、2%成長なら906兆円(1.8倍)、3%成長なら1214兆円(2.4倍)に増え、我々の生活は今よりずっと豊かになっていたはずだ。

 世界第2位だった日本のGDP(実質ベース)が中国に抜かれたのは2010年。その時のGDP(名目とほぼ同額)は500兆円台だった。それから10年後、中国は年率8%前後の経済成長を続け、GDPは約1500兆円まで拡大したが、日本は500兆円台に止まったままだ。GDPの規模では世界第3位だが、10年間で中国に大きく水をあけられてしまった。

 この期間の大部分は第2次安倍内閣(2012年12月〜20年9月)と重なる。大胆な金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略の3本の矢を掲げデフレ克服を目指して鳴り物入りで登場したアベノミクスだったが、株価の上昇、歴史的な円安を招いただけで、終わってしまったように見える。

 安倍首相が就任した2012年の名目GDPは約500兆円、退任した8年後の20年も約500兆円台だった。90年代初めから約20年間続いたデフレ経済からの克服、別の言い方をすれば、500兆円からの脱出劇は、大騒ぎで始まったが終わってみれば「元の木阿弥」に戻ってしまった。

 なぜこのような事態に陥ってしまったのか。一言で要約すれば、「強固な現状維持体制」が「日本が必要とする変革」を徹底的に妨げてきたことが指摘できる。気候変動による異常気象の日常的化、デジタル革命の急速な進展、進む人口減少など歴史的な大変革の時代に対応するため、大胆な産業構造の転換、外国企業の日本誘致、デジタル革命を支える新規産業の育成、労働形態の多様化、積極的なリスキリング(新たな技術の習得)、さらに医療、教育制度改革などが求められたが、ほとんど手をつけてこなかった。最も緊急度の高い3本の矢の3番目、成長戦略が現状維持擁護派、既得権益グループの激しい抵抗で失速してしまった。その一方、抵抗の少ない金融緩和、財政支出拡大が突出した。この結果、成長戦略は「絵に描いた餅」で終わってしまった。現状維持体制が無傷で温存されてしまったのである。

 産業構造の新陳代謝を示す有力な経済指標、企業の新規開業率、廃業率の変化を2000年以降の20年間で欧米と比較してみよう。米国や英国の開業率は年平均約10〜12%、廃業率は同10%台。これに対し日本の開業率、廃業率はいずれもほぼ4%前後だ。英米では1割前後の企業が毎年入れ代わっているが日本はその半分以下で目立つような産業構造の変化が見られなかったことが分かる。

 不況になれば時代の役割を終えた企業は退場させなければならないが、補助金支給など様々な救済・支援策が講じられ退場させない。逆にこれからの時代を担う新興のIT(情報時術)産業などの国の育成対策は欧米と比べ極端に見劣りがする。これでは産業の大胆な新陳代謝、成長産業の急速な発展など起こるはずがない。

 

「黒田総裁の10年」もこのような文脈から捉える必要がある。黒田総裁は就任すると同時に日銀政策委員会委員をリフレ派で固めた。リフレ派経済学はリーマンショック後のデフレ経済から脱却するため、インフレにならない程度まで物価を引き上げることを目標にして、金融の量的緩和や財政支出の拡大をフルに発動する政策だ。フリードマン、クルグマンなどのノーベル賞受賞経済学者だけではなく、バーナンキ前FRB(米連邦準備制度理事会)議長など実務家も信奉する経済学だ。リーマンショック後、欧米主要国は一斉にリフレ政策に踏み切った。日本も数年遅れで追随した。

 これまで、日本を含む米欧先進国の中央銀行の金融政策は短期の政策金利(米国のフェデラル・ファンド・レートなど)を上下させることで景気を調整してきた。不況になれば金利を引き下げ、加熱してくれば引き上げる機動的な金利政策である。この手法を伝統的金融政策と呼ぶ。

 リーマンショックでデフレ経済に落ち込んだ米欧主要国は金利をゼロ近くまで引き下げた。この結果ゼロ金利が長期化し、金利政策が機能不全陥ってしまった。そこに登場してきたのがリフレ政策だ。金利に代って通貨供給量(マネーサプライ)の大幅増加政策である。この量的緩和重視の政策を「非伝統的金融政策」と呼ぶ。

 市場に大量の資金を供給し、それをテコに、企業の資金需要の喚起、円安誘導、企業活動の活発化、賃金上昇、物価上昇、デフレ脱却というルートでデフレ経済からの脱却を目指す。欧米ではリフレ政策が比較的うまく機能し、経済は回復に向かった。この1年、ロシアのウライナ侵攻で石油や天然ガス、食糧などが上昇し、世界的にインフレが加速してきた。この機会に米欧主要国中央銀行は、リフレ政策から金利機能を生かす伝統的金融政策への回帰を強めている。欧米がリフレ政策に成功したのは産業構造の転換や賃上げ、デジタル革命に対応したリスキリングの導入などと同時並行してリフレ政策を実施してきたためだ。

 これに対し、日本は産業の現状維持体制を崩せず、既得権益グループを温存させたまま、長期国債やETF(上場投資信託)の大量購入などによる金融の超量的拡大に踏み切った。さらに日銀当座預金の一部を対象にマイナス金利も実施した。だが構造改革を伴わない金融の量的緩和は企業の設備投資意欲を削ぎ、儲けの多くは社内留保に向けられた。マイナス金利を嫌って、多くの消費者はタンス預金などで現金を溜め込む一方、株式投資に励んだ。今年に入り、インフレ対策として米欧の中央銀行が政策金利を急激に引き挙げたため、大幅な円安に追い込まれた。石油や天然ガス、半導体や銅などの原材料、食糧などの輸入価格が急騰し国民の生活は脅かされている。

 黒田総裁の超金融緩和政策は産業構造の大転換など痛みを伴う構造改革と同時並行的に実施しなければ、空回りするばかりで景気回復に繋がらないことを黒田総裁は誰よりも自覚していたはずだ。

 500兆円の罠からの脱却のためには効果的な構造改革が急務なことを歴代首相や政府幹部に伝えること、さらにその仕事は日銀の仕事ではなく政府の仕事であることを明確に宣言すべきだった。

 米欧の急速な利上げなど国際的な金融情勢が大きく変わる中で、「賃金上昇を伴う2%の物価上昇」が実現するまで、現行の超金融緩和政策は変えないと言い切る黒田総裁の姿勢は柔軟性を欠き、あまりに硬直的、時代錯誤的に見える。君子は豹変してもいいのである。黒田日銀総裁の10年間を採点すれば、とても及第点をつけることはできない。超金融緩和政策の実施で構造改革や賃上げ、デフレ克服などの諸課題がすべて解決できるような素振りを10年近く示し続けてきたのは残念だ。

(2022年12月17日記)

作成者: tadahiro mitsuhashi

三橋規宏 経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から名誉教授、専門は経済学、環境経済学、環境経営学。主な著書に「新・日本経済入門」(編著、日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)など多数。中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など歴任。

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