苦難の平成時代
5月1日、令和の時代が始まった。新時代に期待するものは何だろうか。前の平成時代は苦難の連続だった。バブルが弾けた後、90年代に入ってから長期のデフレ不況に見舞われ,経済は停滞し「失われた20年」と言われた。人口の少子高齢化が進み、隣国中国の台頭で、2010年には世界GDP2位の座を奪われた。2011年3月には東日本大震災が発生、その影響で東京電力の福島第一原発が破壊され、深刻な放射能被害が周辺地域に広がった。
なぜ平成時代は苦難の連続だったのか。この謎を解くカギが令和への課題につながる。
戦後の日本を振り返ると、昭和は高度成長の時代だった。戦争で焦土と化した日本は短期間に復興し、60年代には年率10%の高度成長を10年近く続け、先進国のトップグループまで上り詰めた。64年には東京オリンピックが開催され、高速道路や新幹線など社会インフラが急速に整備された。68年には日本のGNPが西ドイツを上回り、アメリカに次ぐ世界2の経済大国に駆け上がった。労働力人口は若く、今日よりも明日、明日よりも明後日と日を重ねるごとに生活の豊かさが実感でき、国民は元気でやる気も旺盛だった。
だが、昭和の成功体験が皮肉なことに「変われない日本」を温存させ、平成を苦難な時代に導いた。
90年代に難問山積、政府の対応遅れる
昭和から平成に移行した90年代から2000年代初めにかけて様々な変化が起こった。経済発展の結果、多くの日本人が「物の豊かさ」よりも「心の豊かさ」を求めるようになり、日本は成熟社会へ向け大きく踏み出した。産業構造も製造業中心からサービス産業中心へ急激に転換してきた。外に目を向けると、米ソ冷戦時代が終結し、ソ連が崩壊し東欧諸国や中国の市場経済化が加速、東南アジア諸国も経済のテイクオフの時代を迎えた。国際分業の形も昭和の垂直分業から平成時代には水平分業へ移行した。低賃金を求めて中国や東南アジア諸国に工場進出する日本企業が増えた。ICT(情報通信技術)革命が急速に世の中を変え始めた。地球温暖化問題の発生で石炭など化石燃料の消費が厳しく規制されるようになった。
日本を取り巻く内外の様々な変化に積極的、かつ柔軟に対応することがこの時期に求められたが、日本はそれができなかったのである。高度成長の成功体験がそれを拒み、日本人を思考停止に追いやってしまったのである。当時の政治家や中央省庁の官僚は90年代の様々な変化は一時的なものと受け止め、本質的な変化ではない、一定の時間が経てば元に戻ると高をくくり、高度成長時代の夢から抜け出そうとしなかった。
既得権益グループが現状変革を阻止
だが今考えると、この時代の変化はどれも本物だったのである。この時に思い切って高度成長期を支えた様々な経済制度や法律、さらに雇用、教育制度などを改革しておけば「失われた20年」は避けられたのかも知れない。だが残念なことに当時それができなかった。
何故だろうか。昭和の経済発展を支えた既得権益グループが徹底的に変化に反対してきたからである。既得権益グループは既存の制度や法律の下で最大利益を享受してきた集団だ。電力、通信、輸送、公共土木、医療、医薬などの主要な産業分野でこのグループは政官財を巻き込み巨大な利益誘導組織に発展した。
現状の制度や法律を変革する動きが表面化すると、業界、官僚、政治家が一体となって潰しにかかる。業界は既得権益擁護、官僚は天下り先確保、政治家は選挙対策を求めて三者の利害が一致し「鉄のトライアングル」を形成しと、現状変革を阻止してきた。
目立つ官僚の衰退、劣化
行政官としての官僚の衰退,劣化も目に余った。100兆円を超える国家予算の執行役である官僚は制度や法律に従って行動する。その制度や法律が昔のままで変わらなければ、行政効率は低下し忖度が横行するだけだ。国民の政治不信が募る。変わらなければならない時に変われなかったのが平成の悲劇といえるだろう。
「変わることができる日本」を創ることが令和を生きる日本人の最初の仕事である。そのためには急速に進む少子高齢化、危機に直面している財政赤字、壁に突き当たったままのエネルギー政策など困難に直面しているあるがままの日本の姿を素直に受け入れことから始めなくてはならない。そのためには変化を嫌う既得権益グループの横暴を決して許してはいけない。インターネット時代を迎え、人々は自由に自分の意見を言える時代になった。SNSが新しい世論を形成する役割の一端を担うことも可能になってきた。
「変われる日本」が令和を生かす
時代に見合う制度や法律の作成に当たっては、局長以上の幹部が脇に退き、各省庁の課長、課長補佐クラスの若手に「令和の日本創り」を全面的に任せることも大切な視点だ。現状維持や問題先送り、微調整の繰り返しでは今の日本の閉塞感は打ち破れない。「変われない日本」から「変われる日本」に生まれ変わることから令和をスタートさせたい。それが令和を元気にさせる道につながる。
(2019年5月3日記)